コラム Column

本当の加藤をお教えします~父の思い出


不動産DOJOのプロフィール欄には格好良く、「父が胃がんで亡くなり、家業の不動産賃貸業を継ぐ」とありますが、全くの誇張表現です(笑)。

そこで、今回はこの点について、補足説明いたします。

父のこと

2000年末に余命3ヶ月を告げられた私の父は、2001年春、52歳の若さで亡くなりました。胃がんでした。

父は金融機関に勤めていたので平日の帰りも遅い上、土日はほぼ毎週ゴルフで外出していました。

たまに顔を合わせれば小言ばかりだったので、父の車が家にあるときには私は帰宅しないという関係でした。

しかも母からは、「父は中学生のときに父(加藤の祖父)を失くし、土地を売っては外車を買い、事故で車を潰していた」と聞いていたため、正直言って父のことが余り好きではありませんでした。

当時の私

当時私は28歳。

この年になっても私は、司法試験に落ち続けていた司法浪人でしたので、職歴も特別な技能もなく、父の言葉を借りれば、「フーテン」でした。

(当時の戦績は、短答試験に3度通ったものの、論文試験は端にも棒にも掛からない成績でした。)

大変厚かましかった私(今でも現在進行形で厚かましいという説も有力)は、当時交際していた妻に、「親を安心させたいので結婚して欲しい」と頭を下げに行きました。今思えば、大変失礼なプロポーズです。

そうであるにもかかわらず、心優しい妻とそのご両親は快諾してくださいました。妻とそのご両親には感謝の念しかありません。

亡くなる数日前、父は病床で私に、

「いつも小言ばかりだったが、それはお前のことが心配だったから」と言ってくれました。碇ゲンドウほどではありませんが、なかなかのツンデレでした。

結婚式を挙げた3日後、父は亡くなりました。

結婚披露宴で、

「今年こそ、司法試験に合格します!」と親族友人一同の面前で宣言したにもかかわらず、その年は第一関門の短答で不合格。心が折れた私は、司法試験から撤退することにしました。

父の亡くなった後

プロフィール欄には、「家業」の不動産業とありますが、父は金融機関に勤めていましたので、家業と言っても父が税金を支払うために先祖伝来の畑にアパートやマンションを建て、管理会社に丸投げしていました。いわゆる「地主稼業」です。

地主であった父が亡くなった後も更地が何筆かありましたので、司法試験からリタイアして暇だった私は、方々の建設業者に声を掛け、2003年と2006年にマンションを新築しました。

敷地が既にあるわけですから、事業として失敗することはまずありませんし、建設会社がチヤホヤしてくれるのです。

どう見てもボンボンいや「穀潰し」です、本当にありがとうございました。

司法試験から撤退した後の私はテレビに弁護士タレントを見るたびに、「なぜこの人達が合格できた試験に自分が合格できないのか?」とチャンネルを変えるという非常に健全な日々を過ごしていました。

そこで私は2006年に「人生に悔いを残したくないから司法試験に再チャレンジしたい!」と妻に頼み込み、法科大学院(ロースクール)に入学し、週休1日のペースで、朝8時に登校、夜0時まで机にかじりつくという生活を3年間続け、2009年に私は36歳で司法試験に合格することができました。一度司法試験を断念し、「勉強できることの有り難さ」を心から理解することができたため、挫折せずに勉強を続けることができました。

最後に

私が、このように恥の多い好き勝手な人生を送ることができたのは、ひとえに父がマンションを建ててくれていたからでした。

ありがとう、お父さん。

お父さんのしてくれたことを子供達にもしてあげられるよう頑張るよ。

今は、万一私が早くに死んだとしても、子供達が自由に生きていけるような資産状況にしておきたいと思っています。

そしてできるだけ私の友人や取引先を紹介し、「困った時には誰に頼れば良いのか?」「誰を信じれば良いのか?」ということを伝えておきたいと考えています。

父のときは急すぎたため、何も引き継ぎがなく、誰を信じたら良いのか分からず私が大変苦労したからです。

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